ミクログリアと認知症(名大より)
ミクログリアの機能低下が認知症の病態進行の鍵となる
名古屋大学環境医学研究所/医学系研究科の祖父江顕特任助教、山中宏二教授らの研究グルー
プは、荻朋男教授(同環境医学研究所)、名古屋市立大学、放射線医学総合研究所、理化学研究
所、高齢者ブレインバンクとの共同研究により、ミクログリア*1の機能低下が神経変性の進行と
相関し、認知症病態に重要であることを解明しました。
アルツハイマー病(AD)は認知症の主要な原因となる神経変性疾患であり、脳の病巣におけ
るアミロイド β(Aβ)*2・タウ蛋白質*3の異常蓄積が神経変性につながる病理変化として知られて
います。AD 脳の老人斑*2に集まるミクログリアは、Aβ の除去や神経炎症*
4に寄与し、AD の病
態進行に関与することが示唆されています。近年、ミクログリアは加齢や神経変性疾患において
共通した活性化状態(Disease-associated microglia: DAM)を認め、認知症の病態における役割
について注目されていますが、神経変性の程度とミクログリアの反応性が相関するかはわかって
いません。
そこで、私たちは認知症モデルにおける神経変性の相違によるミクログリアの反応性を比較検
討するため、APP knock-in(App-KI;アミロイド病理を呈する)*
5、rTg4510(タウ病理および
神経細胞死を呈する)マウスの大脳皮質から単離したミクログリアにおける遺伝子発現を次世代
シークエンス*
6により解析しました。一方、早期 AD と病理学的に診断された死後脳の楔前部*7
においてもグリア細胞の遺伝子発現やモデルマウスとの比較解析を行いました。
その結果、神経細胞死を伴う rTg4510 マウス由来のミクログリアは神経細胞死を伴わない
App-KI マウスと比べてミクログリアの生理機能に関わる遺伝子群の発現が有意に低下し、神経
変性の程度と相関することを見出しました。さらに、早期 AD 病理を呈する死後脳においてもミ
クログリアなどグリア細胞における遺伝子発現が低下しており、認知症の早期からミクログリア
の機能低下が示唆されました。
これらの研究成果は 認知症発症前の脳内変化の解明やミクログリアを標的とした認知症の新
規治療法開発に向けた研究にも繋がることが期待されます。 本研究成果は、国際医学誌「Acta
neuropathologica communications」(2021 年 1 月 5 日付(日本時間))に掲載されました
今後の展開
ミクログリアは、神経変性の進行に沿って、その生理機能の低下を来し、病態の
進行に寄与する可能性が考えられます。また、その生理機能の低下は早期 AD 病理を呈するヒト死後
脳においても確認され、AD の発症早期から神経炎症が病態に関与する可能性が示唆されます。神経変
性疾患におけるミクログリアの活性化を説明する DAM という概念が提唱されています。一方、本研
究で明らかになったミクログリアの生理機能の低下を反映する恒常性ミクログリアの発現低下は神経
変性の程度と相関することから、病態進行の鍵となる重要な変化であると考えられます。これらの研
究成果には認知症発症前のミクログリアを中心とした脳内環境の変化が認知機能へもたらすメカニズ
ムの解明や、ミクログリアを標的とした認知症の新規治療法開発に向けた研究への応用が期待されま
す。
用語説明
*1 ミクログリア
中枢神経系に存在するグリア細胞の一種であり、脳内において免疫系の役割を担う。
*2 アミロイド β タンパク質、老人斑
アミロイドβは、アルツハイマー病やダウン症候群にみられる病理学的変化である老人斑を構
成する主成分である。アミロイド β 自身も神経細胞に有害であることが報告されている。
*3 タウ蛋白
神経系細胞の骨格を形成する微小管に結合するタンパク質。細胞内の骨格形成と物質輸送に関
与している。アルツハイマー病をはじめとする様々な精神神経疾患において、タウが異常にリン
酸化して細胞内に蓄積することが知られている。
*4 神経炎症
神経感染症、神経免疫疾患、神経変性疾患などにおいて、ミクログリアの異常活性化や応答異常
によって神経傷害性因子の過剰な放出や、神経保護機能の喪失といった神経周囲の環境が毒性
転換する現象。一方、神経保護的な神経炎症も存在する。
*5 次世代 AD モデル動物(APP knock-in マウス)
Aβ 配列のヒト化と共に、Swedish 変異(Aβ 産生量の増加)、Iberian 変異(Aβx-42 の産生比率
の増加)、Arctic 変異(家族性アルツハイマー病 の遺伝子変異の 1 つ)を導入した遺伝子組換
えマウス。
*6 次世代シークエンス
DNA あるいは RNA の塩基配列を調査する解析手法で、大量の塩基配列を調べることができる
など高度かつ高速な処理が可能である。
*7 楔前部
大脳頭頂葉の後部内側に位置する領域で、脳のアイドリング状態の活動に寄与し、アルツハイマ
ー病のかなり早期からアミロイドβが蓄積することが知られる。
*8 恒常性ミクログリア遺伝子
ミクログリアの生理的な機能(増殖、食作用、遊走および突起の分岐等)を反映する遺伝子群で
5
あり、神経変性疾患の病巣でみられる活性化ミクログリアにおいてその発現が低下することが
報告されている。図に示す P2ry12, TMEM119 遺伝子も恒常性ミクログリア遺伝子として知ら
認知症におけるアミロイド、タウ病理の相違、神経変性の相違によるミクログリアの反
応性を比較検討するため、App-KI(アミロイド病理を呈する)、rTg4510(タウ病理および神経細胞死
を呈する)マウスの大脳皮質から単離したミクログリアにおける遺伝子網羅的発現解析を次世代シー
クエンスにより行なわれました、神経変性・炎症が高度である ALS モデル(SOD1G93A)も陽性対照と
して比較検討。その結果、App-KIと比較して神経変性の程度が強いタウ病理を呈するrTg4510
および SOD1G93A ではミクログリアの生理機能を反映する恒常性ミクログリア遺伝子*
8 の発現低下が著明でした(図 1)。
一方、疾患ミクログリアに共通する新概念である DAM 遺伝子は App-KI, rTg4510,
SOD1G93A の全てにおいて上昇しており、神経変性との相関は見られませんでした(図 2)。また、早
期 AD と病理学的に診断された死後脳(楔前部*7)における遺伝子発現解析。楔前部は、
アミロイドβが AD の早期から蓄積する脳部位として知られていますが、遺伝子発現の詳細は解析さ
れていません。早期 AD 病理を呈する楔前部の遺伝子解析では、ミクログリア特異的遺伝子の発現低
下が確認できましたが、DAM 遺伝子の発現上昇を認めませんでした。従って、AD モデルのミクログ
リアは、神経変性の進行(アミロイド病理からタウ病理への進展)に沿って、その生理機能の低下を
来し、病態の進行に寄与する可能性が考えられます。また、ヒト AD の早期病理においても、ミクロ
グリアの生理機能低下が示唆され、神経炎症が病態に関与する可能性が考えられます。
図 1. 恒常性ミクログリア遺伝子の発現低下は神経細胞死の程度に相関するA, B. 68 種類の恒常性ミクログリア遺伝子発現は神経細胞死を伴う rTg4510 および SOD1G93A マウス由来ミクログリアで有意に低下した(A: ヒートマップは一部抜粋). C.恒常性ミクログリア遺伝子の発現変化は神経細胞死の程度と相関する(恒常性ミクログリア遺伝子の一例として、P2ry12 遺伝
子の発現変化を示す).図 2. DAM 遺伝子の発現上昇は神経細胞死の程度と相関しないA, B. 162 種類の DAM 遺伝子の多くは神経細胞死の程度と相関しない(A: ヒートマップは一部抜粋)