本態性振戦について
. 病因
本態性振戦は,先に述べたように,振戦の他には局所的な神経機
能の障害及び他の神経経路障害を示唆する所見はみられないもので
あり,明確な神経障害や病変があるものを除外するため,本態性振
戦の病因は明らかなものは存在しない.
家族内発症が多いことから,本態性振戦に関する遺伝子解析が試
みられている.本態性振戦に特異的な遺伝子変化はいまだ同定され
ていないが,
3q13(ETM1)と2p24.1(ETM2)にリンケージがあ
るといくつかの論文では提唱された22, 23)
.また,DRD3とHS1-BP3遺伝子における多型性と関連があるとの報告もある24, 25)
.最近では,LINGO1(leucine-rich repeat and Ig domain containing 1)gene
およびLINGO2の多型が,ヨーロッパおよび北米の本態性振戦患者
において発症年齢などの症状に関与していると報告されてい
る26~28)
.なお,LINGO1,LINGO2遺伝子の多型性はParkinson病
の発症年齢とも関連するといわれている.
病理学的な所見については,これまであまり検討されてきていな
かったが,近年Louisらが本態性振戦患者の剖検脳において,プル
キンエ細胞の減少もしくはLewy小体の存在について検討してい
る20, 30, 31)
.
本態性振戦患者の33人の脳組織のうち,8人でLewy小
体が,脳幹,主に青斑核に存在した.33人中,25人ではLewy小体
はなく小脳に変化がみられ,プルキンエ細胞の数の減少もしくはプ
ルキンエ細胞のTorpedo形成(プルキンエ細胞の軸索の腫大)がみ
られた.異所性のプルキンエ細胞や樹状突起腫大がみられる例もあ
った。同年代の剖検脳と比べても,プルキンエ細胞の数は本態性
振戦患者の脳では優位に減少していた
プルキンエ細胞のTorpedo形成は,本態性振戦では,Parkinson病とAlzheimer病の患者脳
と比較したところ,同等に増加していた.また,本態性振戦患者で
は,Torpedo形成の量はAlzheimer変化とは相関しなかった.
これらの病理学的変化は,均一な変化ではなく特異性のある所見では
ないが,神経変性変化として捉えられ,小脳脳幹の変化は振戦の発
生原因になりうると考えられる.上述の議論に基づき,Louis 30)は,
本態性振戦はなんらかの遺伝的要因を背景にもつ神経変性疾患の一
つとして考えている.
病態機序
本態性振戦の病態機序は未だ不明であるが,中枢性の振戦の一つ
であると考えられている.
古くから,本態性振戦の動物モデルとしてharmalineを投与した動物が使われている
Harmalineにより,
4~12Hzの動作時の振戦が誘発され,本態性振戦の治療に用いら
れる薬剤で減弱する.Harmalineは,下オリーブ核のニューロン活
標準的神経治療:本態性振戦 301
動の同期発火を引き起こす作用があり,これが振戦の発生原因であ
ると推測されている34)
.Harmalineにより誘発される,下オリーブ
核ニューロンの群発火はT型カルシウムチャネルアルファ 1サブユ
ニット Cav 3.1を媒介して生じる35)
.下オリーブ核のニューロン間
の振動の同期は,gap junctionを介して行われており36)
このgap junctionを介したニューロン間ネットワークの振動同期にはconnexin3637が重要な役目をはたす.
これらのことから,ヒトの本態性振戦でも,小脳―下オリーブ核
系の機能異常が振戦の発生に関与しているのではないかと推察され
ている.しかし,本態性振戦患者の剖検では,下オリーブ核には明
らかな病理学的異常は検出されない
.
PETなど機能画像を用いて
本態性振戦における小脳―下オリーブ核の血流変化の分析でも一定
の見解は得られておらず,下オリーブ核の機能が本態性振戦発症に
寄与するかいまだ不明である.
また,その他の画像検査では,小脳系の異常の存在が本態性振戦
では示唆されている.3T MRIを用いたvoxel-based morphometry
(VBM)の解析では,本態性振戦では中脳,後頭葉,右前頭葉の白
質および,両側小脳灰白質の容積減少がみられる39)
.拡散テンソー
ル画像法による解析では,本態性振戦の小脳歯状核のfractional
anisotropy(FA)値の低下と,上小脳脚のFA値低下と平均拡散性
(mean diffusivity:MD)上昇がみられることから,本態性振戦患
者では小脳歯状核および上小脳脚の微細構造変化があり,小脳の神
経変性性変化が存在すると示唆される40)
.
一方線条体のドーパミントランスポーター SPECTでは,本態性
振戦はParkinson病のようなパターンの取り込みの低下はみられ
ず,黒質―線条体ドーパミン系異常が関与する証拠は得られていな
い41)
.また,11C-Flumazenilを用いたGABAA受容体のベンゾジ
アゼピン結合部位の機能を測定するPETでは,本態性振戦におい
て小脳,視床腹外側,前運動野でGABA系機能の減弱が示唆されて
いる42)
.これは小脳―視床系の過活動が起きている可能性を示唆し,
本態性振戦の発生機序にGABA系機能の障害が関与している可能性
が示唆される.
電気生理学的手法による検討では,古くから表面筋電図による解
析が行われている.一般的に言うと振戦の発症機序には,重力およ
び心臓の鼓動の機械的な振動と四肢の弾性の関係によって生じる機
械的な機序によるもの,末梢からの感覚入力による反射性機序によ
るもの,中枢神経内に振戦のリズムを形成する機序が存在してそれ
を起源として発生しているものが考えられる.本態性振戦では振戦
のリズムと同期した筋活動が認められるため,単なる機械的な振動
ではない.末梢神経からの反射の場合には,荷重などによる末梢神
経の入力の変化により振戦のリズムが変化するとされているが,本
態性振戦では手指への荷重による振戦リズムの変化はなく,本態性
振戦の発生源は中枢性のものであろうと考えられている43)
.振戦で
は,周波数により関係する神経回路が推察されるが,本態性振戦の
周波数は,若年者ほど速めの振戦を示す傾向があるが,およそ4~
12Hzであり,振戦の中で中程度の速さである.小脳性といわれる
振戦よりも早いものであり,むしろ正常者で疲労や精神的興奮で生
じる生理的振戦や末梢神経障害時に生じる末梢性振戦に近い周波数
である.
振戦の周期が,外乱によりリセットがかかるかを検討することに
より,振戦の起源を推察する方法がある.この方法を本態性振戦に
応用すると,磁気刺激による本態性振戦の振戦周期のリセットは,
対側運動野に磁気刺激を与えたときには生じるが,小脳部に刺激し
た場合には生じなかった.小脳皮質自体よりも,小脳入力系のルー
プにより振戦が誘発されているのではないかと推察されている44)
.
また運動野内のGABA系抑制機構を検査するとされる,磁気二発刺
激法による短潜時抑制は本態性振戦では正常であり,大脳皮質自体
には興奮調整機能の異常はないと推察される45)
.小脳磁気刺激を運
動野磁気刺激に先行してあたえると,運動野刺激により誘発される
運動誘発電位の振幅が小さくなり,小脳―視床―運動野系を介した
小脳の運動野への抑制効果を反映したものとされているが46)
,この
抑制効果が本態性振戦では減弱し,視床Vim核に治療のために挿入
した深部脳電極(Deep brain stimulation:DBS)の刺激を行うと
この抑制効果が正常に近づくと報告されている47)
.これらより,ヒ
トの本態性振戦の発生にも小脳系が関与している可能性が提唱され
ている.
一方,姿勢時振戦のみの本態性振戦と企図振戦の要素のみられる
本態性振戦患者を群分けして事象関連電位(Bereitschaftspotential:BP)を解析したところ,中心部の後期成分の振幅が企図振戦
の要素のみられる本態性振戦患者でのみ減少しており,本態性振戦
の症状により違いがみられた48)
.眼球運動の解析でも,企図振戦の
要素がみられる本態性振戦では,円滑追跡眼球運動(smooth pursuit)の開始の遅さがあり前庭眼球反射(vestibule-ocluar reflex:
VOR)の抑制が障害され小脳系障害が示唆される49)
.そしてこの,
眼球運動障害の程度と企図振戦の程度とは相関するとされる.この
ように,企図振戦の要素のみられる本態性振戦では小脳系の障害が
加わっているが,姿勢時振戦のみの本態性振戦とは病態生理が異な
る可能性もありうる.
また,中枢性の要因の関与だけではなく,慣性荷重をあたえると
振戦の振幅が変化することから,末梢性の要因も本態性振戦には関
与しているだろうという報告50)や,上腕筋の腱への電気刺激による
抑制性の反射が本態性振戦では減弱していて感覚入力による反射ル
ープの障害も示唆されている51)
.
以上の通り,本態性振戦の病態機序に関しては,様々な部位が責
任部位と提案されているが,未だ結論が出ているとは言えない.た
だし近年は,本態性振戦は小脳―下オリーブ核系の異常を主体とし
た神経変性疾患であると捉えられるようになってきている
本態性振戦の治療法はいくつかあります。以下にいくつかの方法をご紹介します。
2024年8月2日 | カテゴリー:脳神経系疾患 |