アルツハイマー
アルツハイマー病(アルツハイマーびょう、英: Alzheimer's disease、略:AD)とは、通常、ゆっくりと始まり、徐々に悪化していく神経変性疾患である[1]。認知症の60~70%の原因となっている[1] [2]。最も一般的な初期症状は、最近の出来事を思い出すことが難しくなることである[3]。進行すると、言語障害、見当識障害(迷子になりやすいなど)、気分の落ち込み、意欲の低下、自己否定、行動障害などの症状が現れる[1]。病状が悪化すると、家族や社会から引きこもることが多くなる[4]。徐々に身体機能が失われ、最終的には死に至る[5]。進行の速さは様々であるが、診断後の一般的な余命は3年から9年である
アルツハイマー病は発症年齢で65歳を境に早発型 (英: early-onset Alzheimer's disease) と晩期発症型(65歳以降)とに大別される。早発型のうち18歳から39歳のものを若年期認知症、40歳から64歳のものを初老期認知症という。
早発型アルツハイマー病は常染色体優性遺伝を示す家族性アルツハイマー病(英: familial AD、FAD)である。原因となる点変異は第21染色体上のアミロイド前駆体蛋白質 (APP) 遺伝子、第14染色体上のプレセニリン1遺伝子 (PSEN1) および第1染色体上のプレセニリン2遺伝子 (PSEN2) に見出されている。家族性アルツハイマー病で最も多いのはPSEN1遺伝子の変異である。プレセニリンはγセクレターゼ複合体の主要構成成分である。家族性アルツハイマー病はアルツハイマー病のおおむね1%以下と推定されており、大部分のアルツハイマー病は晩期発症型で家族歴のない孤発例のアルツハイマー病である。晩発型アルツハイマー病では第19染色体のアポリポタンパクE(ApoE)の多型であるε4対立遺伝子が発症を促進する危険因子になることが確認されている。
- 加齢による記憶障害だが、ADではない
- ときどき物事を忘れる
- 物を間違えた場所に置く
- ちょっとした短期記憶の喪失
- 詳細について覚えていない
- 初期AD
- もの忘れのエピソードを覚えていない
- 家族や友人の名前を忘れる
- ごく親しい友人や人間関係の変化だけにしか気づかない
- 屋外の慣れ親しんだ状況で混乱する
- 中期AD
- 最近知った情報を思い出すのがとても困難
- 多々の状況で混乱する
- 睡眠問題
- 現在いる場所が分からない
- 後期AD
- 思考能力の劣化
- 会話の問題
- 同じ会話を繰り返す
- 暴力的、不安、パラノイド
アルツハイマー型認知症診断に関わる部位
側頭葉内側部、帯状回後部、楔前部、頭頂連合野がアルツハイマー型認知症の画像診断では重要である。鑑別診断のためには中脳被蓋部や迂回回が重要となる。
- 側頭葉内側(海馬領域)
アルツハイマー型認知症では海馬、海馬傍回、扁桃などにより構成される側頭葉内側部での神経細胞脱落が他の脳部位に先んじて起き、病気の進行とともに加速する。海馬は側頭葉の内側に位置し、エピソード記憶と意味記憶から構成される陳述的記憶の形成に必要不可欠である。海馬は新たに獲得した記憶を徐々に大脳皮質に移行し記憶を保持する、保持された記憶を検索するといった機能があり、海馬傍回とともに機能すると考えられている。扁桃体は情動に大きく関与する領域で感情記憶に関与する。側頭葉内側部構造の中でも、海馬傍回の最前部に位置する嗅内皮質はNFTが強く、最初に神経細胞脱落が起こり萎縮がみられる部位である。嗅内皮質は腹側のブロードマン28野と背側の34野に相当するがその体積は両側で正常でも2ml程度で皮質厚は正常でも4mmあり画像診断で萎縮を評価するのは困難である。嗅内皮質に遅れて海馬でも萎縮がおこる。海馬は正常で両側で8ml程度あり、また二次的に側脳室下角の拡大を伴うため画像診断で評価可能である。
- 帯状回後部と楔前部
帯状回後部と楔前部(けつぜんぶ、または、せつぜんぶ)はアルツハイマー型認知症の早期で糖代謝および血流低下が落ちる部位として注目された領域である。帯状回後部はfMRIでは安静時に活動が活発な「デフォルト・モード・ネットワーク」の主要な構成要素である。また帯状回後部はエピソード記憶の再生や将来の予定を立てるときなどに非常に活発に活動することが知られている。また注意機能にも関係する。アルツハイマー型認知症では初期からエピソード記憶の再生や展望記憶が障害されることが知られており帯状回後部の血流低下と一致している。楔前部は頭頂葉の内側にあり、帯状回後部と隣接する。楔前部はエピソード記憶の再生や視空間認知に重要な役割をはたすことが知られている。後頭葉は内側からみると楔形をしている。そのため後頭葉内側の別名が楔部であり、その前にあるため楔前部という。
- 頭頂連合野
頭頂連合野は頭頂葉のうち、一次感覚野を除いた領域である。頭頂連合野は大きく分けて上頭頂小葉、下頭頂小葉に分けられる。上頭頂小葉と下頭頂小葉を分けている脳溝が頭頂間溝である。下頭頂連合野はさらに縁上回と角回に分けられる。上頭頂小葉は空間見当識に大きく関わっており、上頭頂小葉の損傷は半側空間無視や触覚失認を引き起こす。縁上回はブロードマン40野と重なるところが多く、ウェルニッケ野も縁上回に含まれる。縁上回は言語機能と深く関わっており、縁上回が損傷を受けると感覚失語を示す。角回は言語(文章を読み、書き、そして理解するといった複雑な言語機能)、計算、空間認識、注意に関連する。角回が損傷をうけるとゲルストマン症候群(失書、失算、手指失認、左右失認)を呈する。頭頂間溝は上頭頂小葉と下頭頂小葉をわけているだけではなく様々な機能があると考えられている。主な機能は目を動かして、目的の場所に手を伸ばすなど感覚と運動の協調などである。頭頂連合野はもともと加齢で萎縮をきたしやすい領域であるが、アルツハイマー型認知症やレビー小体型認知症ではさらに萎縮をしやすい。
孤発性AD (SAD) と家族性AD (FAD) 双方の病理変化は極めて類似していることからほぼ同一の過程を経ると考えられている。ADの病態発症機構に関する研究は1990年代に相次いで同定された家族性AD原因遺伝子であるAPPとプレセレニリン (PS)、および家族性タウオパチー原因遺伝子変異である微小管結合タンパクであるタウの研究によって目覚ましい進展をとげた。アルツハイマー病の病態発症機構としてはAβの産出の上昇、あるいは分解不全によるAβ蓄積を開始点とするアミロイドカスケード仮説が最も支持されている。他にはアセチルコリン仮説、タウ仮説、グルタミン仮説、酸化ストレス仮説、脂質代謝異常、虚血、炎症、糖代謝異常といった様々仮説が唱えられている。これらの仮説は排他的なものではなくアミロイドカスケード仮説を中核として、病期ごとの事象・相互作用などについてそれぞれの側面から検討したものととらえられている。アルツハイマー型認知症は多因子遺伝性疾患であり複合的な要因によって発症にいたると考えられている。
想定される病理学的プロセスは脳アミロイドの蓄積(CSFアミロイドβ)→シナプス障害(FDG-PETやfMRI)→タウ蛋白蓄積(CSFタウ)、NFT、神経細胞死誘導→脳萎縮(MRI)→認知機能低下→臨床症状の順である。この病理学的なプロセスをSperlingらが図式化している[47]。近年、APPプロセシングとプラズマローゲン産生との相関が指摘されている。[48]
アミロイドカスケード仮説
アミロイドカスケード仮説は以下のプロセスからなる。
- Aβ蓄積(老人斑形成)
- タウ凝集・蓄積(NFT形成)
- 神経変性(神経細胞死)
APPは各種プロテアーゼによる切断を受けることで各種のAβ分子種を産出する。主要なAβの分子種としてはアミノ酸数の違いによりAβ40とAβ42が存在しAβ42は高い凝集性から病原性がより強い。PSはAPPの切断プロテアーゼとして知られるγセクレターゼの構成サブユニットである。FAD原因遺伝子変異の実に70%でPS遺伝子に認められている。タウは前頭側頭葉型認知症の原因遺伝子としてしられ、変異型タウの過剰発現 (Tg) マウスはAβ蓄積なしに神経変性を起こす。そのためタウの凝集・蓄積のみでも神経変性は起こりえる。Aβ蓄積の下流ではタウ非依存的な神経変性を惹起する経路も想定される。代表例が、Aβの低分子構造物であるAβオリゴマーが神経細胞内で毒性を示すというオリゴマー仮説である。
上記のプロセスで神経変性にいたるという仮説である。重要な点はAβ蓄積を上流と考えたことである。AD脳ではAβとタウの両方の蓄積を認めることから、どちらが先に起こる現象であるのか、どちらが病態の中心にあるかという議論があった。正常高齢者の病理学的な検討から、Aβの蓄積は認めるが神経原線維変化を認めない症例があること、逆に神経原線維変化を認め老人斑を認めない症例はなかったこと、家族性ADの家系からAβ産生に関係するAPP、PSEN1、PSEN2の変異が見つかったことから、Aβが上流であると考えられるようになった。当初は高度に重合した不溶性の線維型Aβが神経細胞死を起こし認知機能低下を起こすと考えられてきた。しかしアルツハイマー病剖検脳でAβ量や老人斑の増加率と認知症状の重症度が相関しない、老人斑の出現部位と神経細胞の脱落部位が一致しないという問題点があった。
オリゴマー仮説
2002年にウォルシュらがダイマーもしくはトリマー型Aβオリゴマーがlong-term potentiation(LTP)を低下させるという報告をした。この報告後Aβオリゴマーの毒性を示した研究が相次ぎ、Aβオリゴマーが毒性発揮の中心的役割を担うと考えられるようになった。Aβオリゴマーはその大きさにより各種分子種に分類されており、どのオリゴマーがアルツハイマー病の病因となるかは未だ議論がある。Aβの毒性が作用する主要な標的はシナプス後部と考えられている。シナプス後部でAβの毒性を仲介する受容体としては、プリオン蛋白、α7-ニコチン受容体、代謝型グルタミン酸受容体、NMDA型グルタミン酸受容体があげられている。 アルツハイマー病剖検脳で生化学的に測定された可溶性Aβの量がシナプス密度と逆相関し、認知機能障害の程度とよく相関する。そのため神経細胞の変性・脱落よりも先にAβオリゴマーによるシナプスの機能低下がおこると考えられるようになった。Aβオリゴマーは当初は老人斑形成過程の中間体と考えられていたが、老人斑にならないAβオリゴマーも存在する。
タウを主軸とした仮説
タウがアミロイドカスケード仮説の中で占める位置に関しては未だ確立しておらず、タウがADの主役であるのか、Aβの毒性を仲介するのか、単なる随伴症状であるのかはわかっていない。タウの樹状突起における機能とAβの毒性を仲介する作用より、樹状突起におけるAβとタウの病理を結びつけるタウを主軸とした仮説も提唱されている。神経細胞の脱落や認知症症状とNFTの分布には相関関係がある。独立行政法人放射線医学総合研究所は2013年9月19日、脳内に蓄積したタウタンパク質に対して選択的に結合する薬剤であるPBB3(Pyridinyl-Butadienyl-Benzothiazole)と、脳内に蓄積したアミロイドベータ(Aβ)に選択的に結合するピッツバーグ化合物B(PIB:Pittsburgh Compound-B)と、陽電子断層撮影法 (PET:Positron Emission Tomography) を使用して、タウタンパク質やアミロイドベータ(Aβ)が脳内に蓄積して神経細胞を壊死させて、認知症による認知機能・脳機能の低下させることを、初期から終末期までの脳の部位別にタウタンパク質やアミロイドベータ(Aβ)の蓄積や進行状態を、画像で可視化して診断する方法を実用化したと発表した[49]。
その他の原因の仮説
アセチルコリン仮説
1970年代の仮説である。アルツハイマー病では前脳基底部のマイネルト基底核から大脳皮質、そして中隔核やブローカの対角帯核から海馬体に投射するコリン作動性神経細胞の変性・脱落が大量に起こる。その結果、大脳皮質・海馬への入力が強く障害されるためアセチルコリン量が顕著に低下する。この現象はアミロイドカスケード仮説の下流になる。
感染症原因仮説
神経生物学関連誌「Neurobiology of Aging」4月号掲載の研究では、一般的な呼吸器細菌のクラミジア・ニューモニエ (Chlamydia pneumoniae) とアミロイド斑との関連性が、非遺伝性アルツハイマー病患者の脳で確認された。
加齢に伴う慢性疾患研究を目的とした米フィラデルフィア大学整骨医学センターの研究者らが、アルツハイマー病のヒトの脳から同細菌を分離し、アミロイド斑素因のないマウスの鼻腔に噴霧したところ、アミロイド斑の沈積が進行し、部分的なアルツハイマー病のモデルが生じた。この研究は、クラミジア・ニューモニエがアルツハイマー病患者の脳の90%に存在するという過去の知見に基づくもので、研究立案者のBrian Balin氏は、同細菌がアルツハイマー病を引き起こすことを指摘している。
また、単純ヘルペスウイルスを持っていると、アルツハイマー病になるリスクが2倍になるとする報告がある[50]。アルツハイマー病患者の脳からヘルペスウイルスHHV-6AとHHV-7が多く検出されることが報告された[51]。
慢性歯周炎病原菌のひとつであるジンジバリス菌とその産生物質ジンジパインが患者の脳から発見され[52]、ジンジパイン阻害剤でAβ1-42の生成を阻害、神経炎症を減少させるなどの効果が報告された[53]。
アルツハイマー病患の便をラットに移植する実験では、移植されたラットの海馬で神経発生が減少し認知症の症状が確認されるなど、腸内細菌との関連も考えられている[54]。
アルミニウム原因仮説
アルミニウムイオンの摂取がアルツハイマー病の原因のひとつであるという説がある。この説は、第二次世界大戦後、グアム島を統治した米軍が老人の認知症の率が異常に高いことに気がつき、地下水の検査をしたところアルミニウムイオンが非常に多いことがわかったことによる。雨水と他島からの給水によってその率が激減したこと、また紀伊半島のある地域でのアルツハイマー患者が突出して多かったのが上水道の完備により解決したことがその根拠とされている。後者も地下水中のアルミニウムイオンが非常に多かったことが示されている。もっともこれらの調査例は、地域の人口動態などの裏付けがない(家族の集積性や崩壊過程などを考慮しない)単純比較であり、学会や多くの学識経験者が支持している研究成果ではないことに注意する必要がある。
日本におけるアルミニウム原因説の広がりは、1996年3月15日に毎日新聞朝刊により報道されたことによる。記事では、1976年にカナダのある病理学者がアルツハイマー患者の脳から健常者の数十倍の濃度のアルミニウムを検出した例や、脳に達しないという見方が大勢であったアルミニウムイオンが血液脳関門を突破することが明らかになったことなどを紹介している。この記事は、1面ではなく家庭面のベタ記事扱いであったが大きな反響を呼び、後に読売新聞、朝日新聞なども同様の記事を掲載した。これら報道により、既にその他の国では下火となっていたアルミニウム原因説が、日本では次第に有力視されるようになった。消費者の一部には、アルミニウムを含む薬剤でろ過する上水道水や、一般的に調理で用いられるアルミ鍋に対して拒絶する動きが起こり、高価な鍋セットや浄水器を販売する悪質な商売も盛んになるなどの余波も生じた。また、1980年代には、高価な圧力鍋の訪問実演販売が流行ったが、こうした業者がアルミ鍋の有害性をしきりに訴え、営業に利用した。アルミニウムは土中にも含まれることから、野菜にも一定量含まれ、またある種の胃薬にはかなりの量のアルミニウムが含有されており、鍋から溶け出すアルミニウムの比ではない。
業界団体である日本アルミニウム協会などはもとより、アメリカ食品医薬品局も、アルミニウムとアルツハイマーの関係を否定している[55]。学会などで発表される事例も、日本人の手によるものの他はわずかである。現在では、アルツハイマーの発症原因のほとんどが、遺伝子そのものの変異や外的要因(前出の疫学を参照)など複数の要素と考えられている。
インスリン分解酵素仮説
合併症として糖尿病を発症している症例が多い事から[56][57]インスリンの分泌を増やす糖質中心の食習慣、運動不足、内臓脂肪過多がアルツハイマー病の原因となるアミロイドベータの分解を妨げているとしている。アミロイドベータも分解する能力のあるインスリン分解酵素が糖質中心の食生活習慣によって血中のインスリンに集中的に作用するため、脳でのインスリン分解酵素の濃度が低下し、アミロイドベータの分解に手が回らずに蓄積されてしまうとしている。
過剰な糖分摂取があると、脂肪肝が生じ、肝臓と骨格筋にインスリン抵抗性が生じる。膵臓はインスリン分泌を増やすが、追いつかなくなり、2型糖尿病となる。高インスリン血症は、各種の臓器障害を来たす。インスリンは、血液脳関門BBBを越えて脳内に入って、神経細胞を障害し、記憶障害を悪化させる[58][59][30]。